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美人すぎる竿あり玉ナシのニューハーフが相互鑑賞アナニーで男を虜に

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ニューハーフ同士の刑務所ライフ
判決の間、収容されていたO拘置所では、エロ刑務官にとんでもない目に遭わされた。「訴えてもどうにもならないから」と言いながらオッパイを拝み、乳首を見せろと強要されたのである。とりあえず告訴してみたが嫌疑なしで不起訴。やっぱりお国には勝てません。
それにしてもO刑務所はさすが大規模施設。私が生活している舎房の窓には目隠し用のスダレが下がり、出入り口前には守衛まで立っている。他の受刑者の目に一切、触れないようにとの配慮らしい。
こんな完全隔離の状況で正気を保っていられるのは、お隣りさんがいるからだ。同じニューハーフ同士、運動時間ともなれば喋りっぱなし笑いっぱなし。これまでで一番楽しい刑務所ライフが送れそう。

自分が他人と違うかもしれないと思い出したのは、小学校1年のとき。実家の肉屋で働くバイト学生に、ただならぬドキドキ感を覚えてからだ。
それまでにも、その学生は仕事終わりに母屋の風呂を浴びに来ていたのが、ある日、素っ裸でバスタオルを使う彼を見るなり、心臓がバクバク早鐘のように動き出した。それが性的興奮だとは、当時わかるはずもなかった。
もやっとしたまま数年を過ごし、小4のとき、思い切って『菖蒲族』というホモ雑誌を読んでみた。「やっぱり」というのが正直な気持ちだった。自分と同じ噌好の人間がこんなにいるかと、少し安心したのも事実だ。
当時、地元・筑豊は荒れに荒れていた。殴る蹴るは当たり前。真面目な級長がシンナー中毒だったり、ときには知的障害児同士をセックスさせるなんてイジメまであったほどだ。そんな土地柄、クラスメートにホモだなんてバレたら、何をされるかたまったもんじゃない。本当は藤井フミヤの大ファンだったが、下敷きに中森明菜の切抜きを入れカムフラージュした。
隣県の高校に入学した。成績は中の中だが、体育だけ1。相変わらず、女には興味が持てなかった。ただ、この時点でまだ自分がホモセクシュアルであるという、明確な認識はない。そこで、念のため、告ってきたクラスの女子と付き合ってみた。部屋に連れ込み、キスして、ベッドに押し倒し、服を脱がす。が、胸を撰んでもアソコに触ってもオチンチンが勃たない。バイト学生の裸を見たときのような高揚感が微塵も訪れないのだ。その一件が踏ん切りになった。自分は同性愛者として生きていくしか道はないのだ。
高校2年の夏、文通コーナーで相手を探した。目的は、男性とのセックスを体験するためだ。金持ちで安全そうな男何人かと文通し、結局、ブラジル人の男性と会った。が、男はホテルの部屋に入るなり、巨大なセンチ超のペニスを取り出し、アナルを求めてくる。いくらなんでも初体験でセンチ砲はあり得ない。驚いて断ると、フエラしただけで1万円くれた。なまじ可愛い顔をしているだけに、引く手はあまた。ワガママ放題言っても、みな小遣いをくれる。もはや歩く道は一つ。高校を中退し、ウリセンで働くようになった。福岡のウリセンは、博多区の住吉に4軒ほど固まっている。
スナック形式で、マジックミラーのボックスにボーイたちが待機し、客が中を覗いて好きな.を指名する。
料金は1時間1万1千円、泊まり2万3千円で、取り分は、店6割/ボーイ4割。サー
ビスは手コキと生フェラが基本で、アナルは自由(別料金が発生)だった。
同性愛を隠してきた反動か、男とのエッチは苦にならない。
女装や赤ちゃんプレイもこなし、伝言ダイヤルで知り合った会社社長にンコをかけて100万もらったこともある。
この間まで高校生だった若造が、月100万からの収入を得るようになったのだから調子に乗るなと言う方が無理な話だろう。2LDKのマンションに引っ越し、昼はパチスロ、夜はホストクラブでドンチャン騒ぎの毎日。世間はまだバブルで浮かれていた。
「あんた小柄で顔も可愛いいから、ニューハーフになればよかばい」
ホストクラブで知り合ったニューハーフに勧められた。考えてみれば、自分はオシャレも好きだし可愛い服も着たい。単に男が好きと言うよりは《女》として愛されたい願望
がある。稼いだ金をホストに注ぎ込むのもそのせいかもしれない。さっそく面接に出かけ、ショーパブで働く手はずを整えた。当時は、『元気が出るテレビ』などで毎日のようにニューハーフがテレビに出演し、朝川ひかるなどのアイドルが生まれた時代である。日に3回のショータイムに出ればチップだけで月100万。固定給に、客と寝た援助代を足せば月収は軽く150を超えた。金持ちほど金に執着するというが、私の場合はモテればモテるほどもっとモテたくてしかたない。金に糸目を付けず、大ファンだった浅香唯に似せて顔を整形し、胸を付け、玉を抜いた。術後は、今までとは比べモノにならないほど客受けがよくなった。あまりにモテるもんだから、金使いの良さでABCにランク分けし、サービスに差を付けた。高い酒を飲み、万単位のチップをくれるAの客には面白話をし、工口が望みなら触らせもする。が、ケチなCの客とは目も合わせない。こうした中、一番の金づるだったのが、女装趣味でマゾっ気のある夕ケシ(仮名)だ。店に来るたびブランド物のプレゼントを携え、万単位のチップを弾んでくれるのだから美味しい。
「マンション借りるから、一緒に住んでくれない?」
3カ月ほど経ってから、夕ケシが切り出してきた。確かに客としては最高だが、如何せんタイプじゃない。
「私はイケメンが好きなの。あなたとのセックスはNGだから。私が誰と付き合っても文句言わないならいいけど…」
断るつもりで返事したのに、それでOKだという。今更撤回できず、翌週には店を辞め、博多駅近くの3LDKに引っ越した。これは一緒に暮らし始めて知ったのだが、なんと夕ケシは現職の警察官だった。奥さんと娘も2人いるという。にもかかわらず、毎朝、女性用Tバックやブラジャーを着けマンションから出勤するのだから驚きだ。
公務員の夕ケシがどこでどう金を工面したのかはわからない。が、彼は動物好きの私のため、チワワやパピヨンなどのブランド犬を買い、言えば言っただけ小遣いをくれた。シワ&タルミ解消のためのコラーゲン注射など美容関係にかけた費用も400万じゃきかないだろう。中でも、最高のプレゼントは店だ。博多の繁華街・天神に、午後7時〜深夜12時まではニューハーフ&オナベのミックスパブ、深夜12時〜朝7時までがホストクラブを出してくれたのである。
もちろんママはこの私だが、商売っ気などハナからない。自分好みのイケメンを雇い入れ、連れ歩くわ、手を出すわと、やりたい放題やった。夕ケシはトータル500万以上を貢いだように思う。が、それでも耐えていたのだからドのつくMだ。
他人の金で遊び暮らす人生の頂点を味わってしまえば、後に待っているのは転落しかない。ナンパされたポン中にシャブの味を教えられたのが運の尽き、真っ逆さまに堕ちていった。
1週間に1パケだったのが日に1パケを必要になり、通常の0.2g入りで足りず、19パケ通称ワンジーを引く。そのうち精神に異常をきたし、いったん入院した後は大阪に出て真面目に働いたが、シャブは止められない。売人のヤクザと同棲し、昼はシャブ売り、夜は通天閣に立って売春するまでになった。
シャブで頭がおかしくなってるから、客とケンカをするのもしょっちゅうだし、冷やかし客を殴って金を巻きあげたこともある。
その中の誰かが通報したのだろう。私は覚醒剤取締法違反で大阪府警に逮捕されてしまう。警察の取り調べの後、大阪拘置所の5舎に収容された。
大拘の5舎といえば、死刑囚や三大犯罪人、さらには精神障害者や高齢者などの《処遇困難者》用の独居房が並ぶ、おぞましき舎屋。私がそんな所に入れられたのは、ニューハーフ以外に理由はない。
いくら戸籍上男でも、人工のオッパイが付いた私を飢えた男の群れに放り込めば、ナニが起きるかは火を見るより明らか。
つまりはフツーに扱えない者というわけだ。ちなみに、身体をイジってないゲイも、入所の新人考査で自らカミングアウトすれば《処遇困難者》として独居房に収監されるそうだ。それにしても、日本は収監者の下半身に優しくない。欧米では、面会に来た配偶者と2人っきりで過ごせる個室完備の所さえあるというのに、我が国ではオナニーさえ禁止。『陰部摩擦罪』なる違反行為に問われる。実際には、よっぽど他人に迷惑をかけない限り目をつぶってくれるが、そこまで監視される収容者も情けないし、監視させ
られる刑務官も気の毒ではある。さて、拘禁生活が8週間目に入ったある日のこと、ヒマを持て余した私は、廊下の向こうに見える隣の舎屋をぼんやり眺めていた。6舎の5階は、裁判結果を待つ一般男子の房だ。
と、1人のメンズが私をじっと見つめているのに気づいた。妻夫木聡に似たイケメンだ。思わずシャシの前をはだけ、悩ましげにオッパイをもんでみせた。お返しのつもり
か彼が「ホレ見ろ!」とばかりチンチンを放り出しシゴいてみせる。
(あは〜ん、凄〜いつ!)
興奮した私はトイレの便座に乗ると、妻夫木似に見えるよう、後ろ向きにお尻を突き出し、尻肉をつかんで思いっきり左右に広げた。
(あなたのその大きなモノを、私のここにぶちこんでちょうだい!)
そのときだった。
「あつ…」
驚いたような声に我に返ると、廊下の端で見回りの刑務官が固まっていた。虹門を隠すのも忘れ呆然と見つめる私と、直立不動の刑務官.
普通なら、懲罰房に入れられ3日の正座を命じられてもおかしくないところだが、幸い
にもお告め無し。あの刑務官には妻夫木似が目に入らなかったので、きっと私を可哀想な変態と哀れんでくれたのだろう。懲役1年6カ月、執行猶予3年の判決を受け拘置所を出た後、私は西成でシャブを手にしていた。イケナイとわかっていても、射ったときのスーっとしたラッシュ感が忘れられなかった。
逮捕前と同じ生活に戻れば、遅かれ早かれ警察に捕まるのは必然。覚醒剤の所持・使用の現行犯でバクられ、今度は1年4カ月の実刑に執行猶予分を加え、2年6力月の判決が下された。
下獄したのは兵庫県のK刑務所で、ここでは思い出すと吐き気がするほど屈辱を味わった。まず初日。肩まであった髪の毛をバリカンでクリクリ坊主に刈られて泣きそうなところに、おぞましい身体検査が始まった。4人の男性刑務宮に囲まれ、「全部脱げ」と言われただけで頭が真っ白なのに、彼らは強引に服を脱がし、耳や鼻の穴、小さくなった男性器の裏まで入念にチェック。きゃ、ウソでしよ!そりゃ拘置所のイケメン君には自分で見せたけど、いけすかないオッサン達にどうして”気がつけば、私はわんわん声を上げて泣いていた。
なんでこんな人権無視の儀式を行うかといえば、実際に尻やアソコに覚醒剤などを隠して入所してくる輩が少なからずいるのだとか。また、プライドをズタズタにされた人間は従順になりやすいらしい。確かに、アソコや尻の穴まで見られたことで、自分が受刑者だと認識した。けど、女性受刑者は女性の刑務官が付くのだから、せめてニューハーフの刑務官くらい用意してほしかった。
悪夢はそれで終わったわけじゃない。最悪なのは、週に2回、の入浴タイムだ。もともとお風呂好きの私にとっては嬉しい時間のはずなのに、服の脱ぎ着から一部始終を2人の刑務官に食い入るような目で見られる苦痛ときたら…。珍しいのはわかる。けど、穴でも開くんじゃないかと思うほど見られる私の気持ちも考えてほしいものだ。模範囚で過ごし、1年余りの受刑生活を仮釈放で終わらせた。が、どこにもおかしな人間はいるもので、私には1人の変態刑務官のことが今でも忘れられない。
毎日、午前中に運動時間があり、刑務宮が1人付いてくることになっていた。いつもはタバコを吸って世間話をする程度なのに、その刑務官が担当になると、私を建物の陰に連れて行き、自分が仰向けになって腹筋体操を始めるのだ。
ズボンの股間をおっ立て、まるで(ほれほれ、オレのはこんなにデカイぞ)言わんばかりの妙な腰使いに加え、「胸は感じる?」「お尻って濡れるの?」などの言葉責めをしてくるから気持ち悪い。加齢臭プンプンの刑務官に口説かれ「あ、私も堕ちたな」としみじみ実感したものだ。

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